管理人プロフィール

2019年5月27日

福岡海斗 ブログ管理人

管理人の福岡海斗と申します。よろしくお願い致します。

興味のあるなしに関わらず、自分の生い立ちを含めた過去を書き記すことで、忘れていたことを思い出したりします。
特にフリーランスの場合は過去の自分の体験などが仕事に活きる事もあるので、履歴書や職務経歴書の簡易版という感じで、プロフィールをまとめていきます。

表現が堅い・・(汗)

自己紹介

改めて自己紹介をします。

まさか改元を2度経験するとは思っていなかった70年代仕様です。
既婚で小学生の娘がいます。
結婚も30代でしたし、子どもが誕生したのも30代半ば過ぎでしたから、はっきり言って娘には甘いです!!激甘です!!
誰にも文句は言わせません。

そして奥さんにも甘いです・・・・。

奥さんとの出会いはメル友募集掲示板

ズバリ、ネットで知り合って、交際~結婚と至りました。
しかもやや遠距離の末にです。

いろんな人が経緯に驚きますけど、私たちにとっては通ってきた道なので、話した相手の反応を楽しんでいます。

どうでもいいですけど、メル友って古いですねー(笑)

まだ個人のメールアドレスやホームページを持つことが珍しい時代で、直アドを直接掲示板に登録してメル友を募集するという、出会い系の始祖のような場所が、無料でたくさんありました。
Yahooカテゴリに登録されていて都道府県別に別れている掲示板だったと記憶しています。

今では考えられないセキュリティ甘々のコンテンツではありましたが、ここでメル友を募集していなければ、今の家庭はありませんでした。
当時の出会いとか詳細についてはですね、実体験ベースにして別の機会に書きたいと思います。
婚活されてる方とか、純粋で真面目な出会いを期待している方に、少しでも役に立てるように、ご期待ください。

趣味が無くて困っている

趣味は何ですかと言われると、困るんですよ。
長続きしたものが何もないんです。

現時点(2019.5.30)では、星のドラゴンクエストを楽しむぐらいですね。
仕事が趣味のようなものと言うと、胡散臭いとか、意識中途半端に高い系とか、面白くない人とかレッテル貼られますから、言いたくても言えない自分がいます。

基本、趣味って何ですか?

好きなのはTDR

夢の国へは年に1度だけしか行けないんですが、1年間のご褒美として家族と豪遊します。

ディズニーホテル以外は宿泊しません。
旅行プランも基本的にはバケーションパッケージです。

ここは日本有数の人混みで溢れていますが、魔法のお陰でストレスはたまりません。
いいオッサンがのぼせております(笑)

ホントにいい場所。
一度でいいから、TDRのマニア王(と思っている)風間俊介さんと、ギャラを払ってもいいから1日か2日かけて、巡り倒したいぐらいです。。

苦手なものがたくさん

お酒、タバコ、魚介類に甲殻類、負けず嫌い、根性、人混み、居酒屋、夜の繁華街、行列(数学の方も)、店員に高圧的な態度とそんな風に振る舞う人と苦手なものはたくさんあります。
奥さんからは、たまに「面倒くさい」と言われます(汗)

ですが、自分のこんなキャラクターは嫌いではなく、ものすごく気に入ってるから余計に面倒臭いんでしょうねぇ。
一日のうち、数時間はひとりの時間が無いと、心身共に疲れが蓄積したままとなり、ストレスが増してしまいます。
これはどうしようもありません。

気質とか性格的な診断を試してみると、内向型、ややHSP気味という結論が出やすいです。

HSPについては、コチラをご覧いただくと早いです。

もしかしてコミュ症か社会不適合者なの?

うーん、自分では判断が難しいですねー。
他所様からしたら、そう判定されても仕方がない可能性はありますね。

ただし前職では営業系の職務を担当してましたから、根っからのコミュ症とか社会不適合者では無いとも言えますが、残念ながら人とコミュニケーションをし続けるスタミナが平均以下(自分比)なんですけどね。

そんな気質なので、ぼっち最高と思ってます。
独りが寂しいという感情が湧かないので、変な奴ではあります(笑)
あ、公言しますけど、プライベートで友人は居ません。

無趣味で、お酒の付き合いができなくて、居酒屋とか苦手で、おまけにひとりの時間が必要な人間と友達になりたいですか?

っていうことです。

ぼっちを肯定も否定もしませんけど、私は苦ではありません。
奥さんと娘が居るだけで今は十分なのです。

 

自己紹介はこのぐらいで、経歴に移りますね。

前職はサラリーマン

今時珍しくも無い脱サラ組です。
ノープランで退職してしまったのですが、先行きの不安よりも「縛られずに済む」「パターン化した生活からの解放」によって喜びの方が上回っていました。

当時35才(平成の半ば)です。
転職のボーダーラインといわれた年齢ですよ、なんか懐かしいですけど。
今となっては中高年層の転職は盛り上がっていますから、ある意味では先取りしていたわけです・・と良いように言うてますけどね。

職場は某大手住宅設備メーカーの子会社にあたる工場部門で、製造関係の部署と営業関係の部署に居ました。
社名を言えば誰もが知ってるので、オブラートに包みます。

ここで得たスキルは、CADを使った設計と製図、モノづくりの資材調達と工程管理、作業指示、物流管理などです。
あと建築中の分譲マンションの現場には、よく出入りしてましたね。
なので分譲マンションについてはちょっとだけ知ってます。

この経験があったので宅建士の資格取得ということにもなりました。

ということで不動産業界の皆さま、サイトの運用とか、コラム記事の執筆とか、物件情報の更新作業とか、集客とか、ショールームでの案内とか、間取りの作図とか、ご用命がありましたらご連絡ください。

自己都合退職

結局、14年間勤務した後に、自己都合退職しました。
まあ入社直後「思ってたのと違う」ということを、ずーーーーーーーーっと引きずっていた感じですね、思い返せば。
思ってた通りとなる方が稀なのに、どうしても受け入れられませんでしたね。

30才で一旦、仕事を含めて人生を見つめ直すと決めていたので、いろい考えてみたんですけど、このまま会社に居ると安定は得られますが、いかんせん昇給が絶望的に望めないのが段々とわかってきたんです。
カラクリとしては、ウチの会社の業績が良くても、子会社として同列にあたる関係会社が不調ならば、不調の会社に昇給を合わせるんです。
社員に還元されないという準ブラック。

退職間際の手取りは14万円でした、34才(イエイ!)

役職についても決定的だったのは、どう足掻いても生え抜きが所属長のポスト以上には成れないという不文律の存在です。
役員や社長を務めるのは親会社から出向してきた人で、2年後に親会社に戻って昇進していく腰掛の場所でもありました。
うん、頑張りようが無い。

ということで、上司との人事考課のための面談の時に退職の意思表示をして、1年半後にようやく解放されました。
後任がなかなか決まらなかったんです・・・。
辞めることを受理されてから1年半のモチベーション維持は難しいものがありました。

退職の理由は、組織的な不満だじゃ無いんですけどね。。

仮面うつ発症

当時の診断名は「仮面うつ」でした。
今はうつ病も細分化されていますが、どれが近いだろう?

医師から告げられたのは、ガチガチなうつ病ではなく、うつ状態になりかけているけど何もしなければ間違いなく進行するという境界線上のようなニュアンスでした。
テスト結果も見せられましたけど、ああ、こりゃギリギリだわってところでした。

仮面うつの症状と診断まで

私の場合ということでご了承くださいね。
躁うつ病のような激しい気分の浮き沈みはなく、頭痛、倦怠感、動悸とストレスが蓄積されると身体に症状が出ました。

ある日、とてつもない倦怠感で身体が重くて発熱したので、風邪かなと思って市販の風邪薬を飲んで休むと翌日には軽快したのです。
その倦怠感、ある県外出張時、駅の待合室で突然出たんですよ。
30分以上は動けなくて、身体が辛くて、手足もしびれて、とにかくじっとしてるしかないんです。
しゃべるのも苦痛。
だけど、どこか冷静で、やり過ごせると根拠無く我慢していたらスッと引くわけです。

その後、何度か似たような現象が起こって、とうとう、もうれつにキツイ時に内科クリニックを受診しました。
尿検査と血液検査をしましたが、たんぱくの数値がとんでもない事になっていて、点滴して帰ったことを記憶しています。
後日、血液検査の結果はシロ。
内科クリニックでは診断が付かないということで、心療内科を勧められたんです。

たまたま自宅の近い距離に心療内科がありましたのがラッキーでした。
受診したその日に診断が出て投薬とカウンセリングのスケジュールが組まれました。

第一次仮面うつは半年で寛解

ものすごく順調に回復して、半年で寛解状態になりました。
既に退職していたことも早期回復に繋がったのだと思います。

第一次ってあるので、当然、第二次があると予想してますよね。
ハイ、その通り。

第二次については、また後日、追記したいと思います。

個人事業主でイクメン

体調も回復したところで個人事業主の開業届を出したのが2006年2月です。
メインの事業はWEBサイト関連です。
今でいうところのWEBライターデビューでもあります。

自宅の一室を仕事場にして、後ろ盾の無い成果主義の道へと進みますが、当然、ノープランで退職しちゃってるので仕事の依頼はありません。
なんとか退職金で糊口を凌いで軌道に乗せるという時期でした。

開業から1年ちょっと後に、娘が誕生しました。
2才になって保育所に預けるまで、夫婦でベロベロに可愛がりまくりました。
奥さんも長期の育休を利用して二人三脚で子育てできたのは財産です。

私も奥さんも初めての親業ですから、試行錯誤の連続は当たり前と思って過ごしましたよ。
自宅から100mほどしか離れていない叔母夫婦が居たお陰で、いろんな面で心強いというのもありましたね。

おむつ替えもしましたし、お風呂は私が担当しました。
これが出来たからってイクメンだと言い張るのは、おこがましいですけど、ちょっとは育児に参加できたかなと思ってます。

5年間の保育所送迎の時間は宝物

保育所については自宅近くは想定通り、どこも定員いっぱいで空きが無く、15kmほど離れた保育園に申し込みました。
自動車で20分前後の距離です。
ところが実家からだと車で5分ほどの場所なので、じいじもばあばも迎えに行けるとあって、完全ウェルカム状態。
保育所選びはラッキーでした。

大都市ではもっと過酷な待機児童問題が起こってるんですよね。
心中お察しします・・。

2才から6才まで5年間の保育所への送迎は私が担当しました。
奥さんは勤務先が反対方向になるので、ものすごく残念がってましたね。
毎日9時頃に自宅を出て、車内ではずーっと娘とおしゃべりです。
この送迎時間は、まさに私にとっては宝物となりました。

 

これ以降については、折を見て追記していきます。

 

よろしくお願い致します。

Posted by 福岡海斗